今日は、信仰の大先輩、Aさんのお葬式に出席しました。
もし長生きさせていただけるなら、私もこんな最期を迎えられたらいいな、と思いました。
Aさんは大正生まれ、80代後半。病床で次第に体が弱くなり、ものも掴めないほど力がなくなってきても、ベッドのそばの突っ張り棒をずっと握り、
「これは、イエス様の手なの。最期まで、神様の手を、ずっと離さないの。」
と言っておられたそうです。
少女のような、純粋でひたむきで、平安と信頼に満ちた、神様への信仰、また愛が、そのエピソードから伝わって来ました。
また、そのようなAさんの愛に応えて、神様がなんと恵み深くAさんの人生を祝福して下さったことでしょう。
ちょうど3年ほど前(このブログにも書いたかも...)Aさんの最愛のご主人が召されましたが、ご主人も、Aさんの長年の祈りに応えるかのように、召される前に、イエス様を救い主として、受け入れられました。
お嬢さん、息子さん、それぞれのご家族のことも、とっても誇りに思っておられ、またその方たちから、大切にされ、敬われ、愛され、体が弱くなって、お一人で暮らすのが難しくなった時も、お嫁さんの方から、お義母さんを引き取りたいと申し出てくださったそうです。
最後の1年くらいは、息子さんご夫婦のところで暮らされたので、私たちの教会から、そちらの教会に移られましたが、どちらの牧師先生をもいつも励まし、なくなる2週間前には、私たちの主任牧師稲福エルマ牧師と会い、そして8月4日当日、横浜の牧師先生と会い、その日の夜、ご家族から手を握られ、皆に見守られる中、眠るように、天に召されたそうです。
お別れの時、お花で飾られたAさんのお顔を拝見しましたが、本当におきれいで、平和に満ち、微笑まれて、とってもお幸せそうでした。
「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(2テモテ4:7)
Aさんは、走るべき行程を走りきって、愛する神様のもとに凱旋されたように微笑んでおられました。

写真が下手でごめんなさい。
お葬式でいただいた式次第に印刷されていた、聖書の箇所です。
牧師がこの箇所を引用し、Aさんに通ずるところがいくつもある、と言いましたが、そのとおり、力と気品を合わせもった、美しく、明るく、平安に満ちた、いつも笑顔の素敵な大先輩でした。